
9月20日Vol.116:配信
社員インタビュー
第5話_清水利浩さん(3課課長)

ここ数年で入ってきた若手、リタイアした年配者。工場内の世代交代を感じる。この先、もっと良くなるためにも、自分らの世代がどれだけ残してやれるか、どれだけ伝えてやれるか。それが一番大事かな。
悩んでいる子には話しを聞いてやる。挑戦したい子には、次のステップを一緒に考える。今、辛いから、体がきついから、と、止まらないでほしい。3課は目黒や北條が、若手の面倒をよく見てくれている。だから、2人に任せて自分は遠目で見守るだけ。
自分がやるべきことは、染色とスキを担う人づくり。染色は1番ネックで、これまでなかなか育てられなかった。今、染色についている若手2人が、あれこれ相談しながらがんばっている。
あとは、スキの工程。アナログな機械を使う仕事だから、機械の癖とか、革の硬さ、柔らかさで扱いも違う。その感覚まで教えないといけない。まだまだ、やらなければならないことは山積み。
そんななか、最近、嬉しい出来事があった。栃木レザーのショップに行ったという友人から、「商品を手に取ってみたら、なんか欲しくなっちゃって、買ってきたよ」というメールが。
買うつもりじゃないのに、手にしたら欲しくなったというのは、ものづくりをしている自分たちにとって、大きな勲章のようなもの。身近な人からの評価は、嬉しいね。革づくりの人生、ほんとに良かった。
(清水課長の配信、本日で終了)

9月19日Vol.115:配信
社員インタビュー
第4話_清水利浩さん(3課課長)

「うちは他と違う。時間と手間をかけてやっているのが売りで、クロムじゃなく、タンニンでやることに意味があるんだ」
これは、いつも先代が言っていたこと。たまに工場を歩きながら、「うちの革はいいよなぁ」って話していたことを思い出す。
昔、こんなことがあった。シンヌメという、うち本来のやり方と若干工程が違う革をやりはじめた頃。「うちの革はどっちかわかるか?」って先代に聞かれ、「うちのはこっちじゃないですか」と柔らかい方を指した。すると「お前何言ってんだよ。うちのはハリがある方だよ。このハリが売りなんだ。 全然わかってねぇな」と叱られて。まだ、入社して数ヶ月だったから(笑)。とにかく、この革のやり方にこだわりを持っていた。
国内でもタンニンで厚物を手がけるところは、数少ない。市場はどんどん縮小している。今では、色んな素材がある。そっちに興味を持っている人たちの目を、どうやってこっちに向けさせるか。この先どう生き残っていくかっていうところなんだと思う。
クロムにしてもタンニンにしても、仕上げてしまえばその差はわからない。ただ、環境的にクロムは 燃やせないけど、栃木レザーのタンニンは、そのまま廃棄ができる。エコとか、SDGsと言われている今の時代だけど、うちは最初からそこをやっている。
でも、そこまでわかってくれている消費者は少ない。栃木レザーのコアなファンは、わかってくれているかもしれないけど、そうではない層は、色とか、デザインとか、価格で決めるからうちを選ばない。そういう人にこそ、そこを伝えたい。

9月18日Vol.114:配信
社員インタビュー
第3話_清水利浩さん(3課課長)

今の若手に伝えたいこと。それは、「 まず、やってみろ。それでダメだったら考えろ」ということ。やる前に「こうなった場合はどうするの?」と答えを求めたがったり、保険をとりたがる。
こういう職人仕事はやってみないと、わからないことが多い。マニュアル通りにやっても、その通りにいかない。そのマニュアルから外れたところでどうにかすることを考えなければならない。革は1枚1枚、硬さも、形も、色も違う。だから、応用を利かせて仕事をする。そこに、職人としての成長があると思う。
気がかりなのは、下場の仕事。品質を左右する重要な工程といえば1課、2課。暑かったり、忙しかったりと、うまくいかないこともあるだろう。全体的に年齢層が若くなった分、自分も含め上の人間が、よく状況を見て、もっと指導をする必要があると思う。そうすれば、革自体も必ずいい方向に向いていくはず。今、その岐路に立っているのでは。
一方で、あれをやってみたい、これをやってみたいという冒険を試みる若者も増えた。言われたことだけをやってきたこれまでに比べ、大きな変化。それをうまく引き出しているのが、遅澤社長だと思う。
工場をよく回っている社長は、従業員と話しをしながら個性を引き出し、可能性のある人間に色々なチャンスを与えている。上がってきたものを見ると意外にも、才能を感じさせるようなのが何人もいるから面白い。
従業員の才能や、潜在能力をうまく発掘する職場、夢があるね。

9月17日Vol.113:配信
社員インタビュー
第2話_清水利浩さん(3課課長)

「会社はどうなるのか」
先のことなんか、誰にも想像できなかった。去るか、残るか、みなが岐路に立った。そうした人の出入りがあるなかで、残ると決めた自分は、課長の立場に少しずつ慣れていった。
そして再生機構、先代の陣頭指揮、多くの人たちの協力によってなんとか持ち直し、栃木レザーとして生まれ変わった。ここから、先代のトップダウンで事業は進められていくのだが、今思えば、あの力があったからこそ、どん底から栃木レザーというブランドをつくりあげることができたのだと思う。
後に、ショップもオープンさせることになったが、当初、「ショップをやる」と、先代が言った時、自分は正直、喜べなかった。商品は消耗品かもしれないけど、つくり手からすれば、すぐに消耗するようなものをつくっているわけではない。逆に、革は使えば使うほど味が出る。そんな買い替え需要が少ないなかかで、店の経営は成り立つのだろうか。素人ながら、余計な心配をしていた。
実際、オープンしてみると、多くの栃木レザーファンが店舗に足を運んでくれたことで、運営はすぐに軌道にのったようだった。先代が進めていたブランド化の効果で、多くのメディアに取り上げられるようになり、さらにお客様がついてくれるという連鎖が生まれていた。工場にいる私も、栃木レザーが周りから認められていることを実感することができた。
それは、今、大きな価値を生んでいる。ここ数年で入ってきている若手も、そういった部分を見てうちを選んでいるだろうから、栃木レザーが進むべき方向に合った人材が集まってきていると感じている。実際、その若手は、今、新商品開発プロジェクトで、自分たちのアイデアを出し合い、失敗を重ねながらも新たなものづくりに挑戦している。
自分はもうすぐ身を引く身。だから、そうした若手が1人でもいいから残ってほしい。一つひとつ丁寧なものづくりをするような人間が集まっては新しいものをつくり、それがさらに世間に認められて、栃木レザーはいい会社になっていくんじゃないかな。そのために、自分たち経験者も、道をつないでいかなければ。
(18日水曜日、第3話を配信)

9月16日Vol.112:配信
社員インタビュー
第1話_清水利浩さん(3課課長)

栃木レザーに入って27年。気がつけばもう古株となり、人生の大半をここで過ごしてきた。本気で栃木レザーへの転職を意識したのは、30歳を迎えた頃。温水器の営業についていたけど、いつも帰宅は深夜。家も顧みず仕事漬けの毎日だった。
ある日、2ヵ月ほどの長期出張から自宅に戻ると、まだ小さかった息子が嫁の後ろに隠れて目を合わせようとしない。その姿に、勤めていた会社に見切りをつけた。
ものづくりも革にも興味はあった。前職の営業といっても、取り付けなどもやる何でも屋。机に座って事務仕事というよりは、体を動かしながら働く方が向いていた。
最初は2課に入った。そこをやりながら1課の仕事もやらせてもらい、なんとか続けられそうだと思い始めた頃、経営破綻を告げられた。「やっぱり、この会社ダメかな」と不安が増すなかで、突然、3課課長を命じられる。青天の霹靂とはこのことか・・・
1課、2課を経験したとはいえ、3課の仕事は似て非なるもの。工程のなかで気を使うところがまるで違った。そんなところに経験の浅い自分が課長で入っても務まるわけがない。しかも、周りを見渡せば年上ばかり。「こうなんじゃないですか」と何かを聞いても、「そんなことも、わかんねえのか」と一喝されてしまう。
三日にあげずやってくる産業再生機構の人たちで会社の雰囲気は重く、仕事もやりづらい環境にやるせなかった。「辞めようか」と考えたこともあったけど、小さな子どもが2人もいる。「なんとかなるか・・・」と会社の再生に賭けることにした。
(17日火曜日、第2話を配信)
